ようこそ、パフォーミングアーツの広場へ!
このウェブサイトは、障害のある人がかかわるパフォーミングアーツや関連するトークの動画をあつめ、その多様さや魅力を伝えるものです。舞台で発表されたものもあれば、日常に近い場面のワークショップなどもあります。
その人がその場所に立つだけで空気が変わる、ほんの一言や一音に心を動かされる。さまざまなパフォーミングアーツに触れることで、ひとりひとりを大切にすること、表現の楽しみ方をひろげること、それらを通して社会が豊かになることを願っています。
オンラインショーケース[Online showcase]
関西を中心に、演劇やダンス、音楽など障害のある人が関わるパフォーマンスの動画を紹介します。動画を見た人からのコメントにも注目!
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僕の一日(野澤大輔)
朝起きて仕事へ行き、家に帰って眠る。毎日繰り返している普通の一日を野澤さんの目線で捉え、描いた一曲。
[ミュージックビデオ:7分・日本語字幕/手話]野澤大輔(和歌山)
和歌山県東牟婁郡在住、パン作りが趣味のシンガーソングライター。バンド「ハリケーン」として活動。オリジナル曲は4曲のレパートリーがある。「ワークショップゆう」でパンづくりの仕事に取り組み、休憩時間にギターを弾くことも。第46回わたぼうし音楽祭において「僕の一日」が審査員特別賞を受賞。
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音遊びの会 ワークショップの記録 2021.7.25 2021.10.31(音遊びの会)
ミュージシャンやダンサーと障害のある人との即興表現を舞台などで発表してきた音遊びの会。月2回のワークショップでは、参加メンバーのおしゃべりや動き、目線などが交差する。自分の表現を、振る舞いを、受け入れてくれる場の豊かさが垣間見られる、あるワークショップの日のドキュメント。
[ドキュメンタリー作品:41分]音遊びの会 | The Otoasobi Project (神戸)
2005年結成、知的な障害のある人たちを含むアーティスト大集団。神戸をベースとし、月二回の継続したワークショップで様々な表現を生み出している。関西を中心に、北海道、東京、水戸、島根、山口、宮崎、イギリスなど遠征公演多数。2013 年には英国ツアーの様子がNHKで特集される。予定調和を許さないその音楽性は、見る者を釘付けにする。2021年、大友良英プロデュースによる待望のスタジオ録音アルバム『音遊びの会 OTO』リリース。2022年春、映像作家野田亮によるドキュメンタリー映画公開予定。
打てばよい。吹けばよい。鳴らせばよい。踊ればよい。ルールなんてなにもないのさ。楽譜なんてうそっぱち。音階も和音もね。音楽や楽曲なんてものはこの世に存在しない。自分が思うままに打てばよい。あなたの音は一つだけ。
続きを読むあなたが打つ行為から世界は始まる。あなたが打つ行為によって世界が震える。あなたが世界を打つ音は大きな波になって、うねりになって、世界のあちこちを穿ち、揺らし、またあなたのもとに帰ってくるのさ。それを全身で浴びればよい。浴びなくてもよい。社会とか革命とか呼ばれるものの根っこは、実は音の粒の姿を借りた振動でできている。音は自由。音は気まぐれ。音に国境はない。音に属性はない。間違った音なんて何もないのさ。でも音に色や匂いや肌触りや温度や性格があったりはする。音と音の間に生命が宿ったりするようにね。さあ、打とう。感じよう。ああ、なんて楽しいことなんだ。世界は響きあい、共振しあい、絶妙なバランスで突っ立っている。
川瀬慈(人類学者、国立民族学博物館准教授) -
ひょっとして、白雪姫!?(人形芝居ぬくぬく座)
大阪府豊中市にある福祉施設「糸をかし」に通うメンバーとスタッフで構成される劇団「人形芝居ぬくぬく座」。稽古の日には施設の1階が劇場に早変わり。手作りの人形たちが繰り広げる、ユーモアあふれる白雪姫のお話。
[人形芝居:26分・日本語字幕]人形芝居ぬくぬく座(大阪)
1995年糸をかし(福祉作業所)は、開設と同時に様々なステージパフォーマンスに取組んできました。仲間と支援者で結成された「人形芝居ぬくぬく座」は障害のある人達の天性の持ち味を最大限に生かし、独自のスタイルで公演活動を展開しています。「生き生きはじけて変・身・心!!」をモットーに愉快に緩歩し続けています。
役者と一体となった人形が、ダイナミックに、時に繊細に今をスパークさせながら進んでいく。
制作に半年、さらに稽古を2~3年重ねるというぬくぬく座の人形劇は、越冬した種が春のぬくぬくとした土から芽吹くようなエネルギーに満ちている。続きを読む人形と共演する生身の俳優たちも魅力的だ。お祭りから飛び出したような陽気さで現れる妖精と、堂々と呼びかけに応えるミラーちゃんのやりとりは「待ってました!」とつい声が出るし、ガサツなお妃はどこか憎めない。
演者一人ひとりの誠実さとユーモアが、筋書きをたどりながらも枠から飛び出して物語を動かしていく。それは私たちの社会が今欲している力だ。舞台に深みを与える色とりどりの声は、人間は均一ではないこと、社会とは不均一な個人の集合体であることを改めて気づかせてくれる。
マイペースの協力、マイスペースは強力!工藤夏海(美術家、人形劇団ポンコレラ) -
贅沢な時間(HANA PLAY)
たんぽぽの家アートセンターHANAで演劇に取り組むHANA PLAY。オリジナルのストーリーは、日常の食事や仕事を共にするスタッフとメンバーの会話の中から生まれる。メンバーがひとり暮らしをはじめた、ある一場面のエピソードから着想された演劇作品。
[演劇作品:70分]HANA PLAY(奈良)
アートセンターHANAにて週1回、演劇創作を行なっています。近年は参加メンバーの経験をベースに作品作りをしています。2020年1月にはコモンズフェスタ2019(應典院寺町倶楽部主催)にて『僕がうまれた日』を應典院本堂で上演しました。この作品は、現在(株)プリコグが運営するバリアフリー配信サイト「THEATRE for ALL」にてバリアフリー配信しています。2021年12月26日に近畿大学舞台芸術専攻生×HANA PLAYワークインプログレス公演「贅沢な時間」を上演しました。
冷蔵庫を開けるまでの時間の経過の、豊かな描写からこの作品は始まる。まるで夕暮れの太陽が海に沈むまでのうつろいのように、出演者から発せられる言葉は、ゆったりとして、発音も独特だ。
続きを読む一つ一つの言葉を注意深く聞き分けながら、また、あわせて動く他の出演者の振付の動きも読み解きながら、一緒にその時間を追いかけているうちに、自分とは異なる身体性の登場人物の時間を生きてしまう。
福祉施設での入所者の方々の暮らしや、時間の流れ方、それぞれの人の生きる力や個々人の魅力、などについては、じっくり触れる機会はなかなかない。わからないままに、知る機会のないまま生きてきてしまったが、このお芝居を通して身体化されるような感覚だ。
「障害は個人に由来するのではなく、社会がつくるものである」という考え方が障害の社会モデルというものであるが、当たり前だが、社会とは自分を含む環境である。私の無知が障害を生んでいたということに気づかされると同時に、観る側には知る機会を、当事者である出演者側には語る機会を与え、その障害(バリア)を、少しづつ溶かしてくれる。
たんぽぽの家の佐藤さんが作る演劇は、私たちの住まう世界を少し居心地をよくしてくれる赦しと挑戦のように感じる。等しく私たちは命を与えられ、そこに太陽は等しく降り注いでいる。そして、そのぽかぽかのひなたを守るのは私たち自身でしかないと思うのだった。金森香(プロデューサー/ THEATRE for ALL ディレクター) -
紫の夜が明けるとき(劇団まちプロ一座)
「障害を受け入れるまでの話は結構あるんやろうけど、その後はないんちゃうかな?私ら、受け入れる、受け入れないってよりも、生きてることは続いているんやし…。」という言葉から誕生した、高次脳機能障害当事者を描いた演劇作品。
*このウェブサイトでの公開は終了していますが、演劇動画配信サービス「観劇三昧」(運営:株式会社ネクステージ)にて公開されています。
[演劇作品:68分・日本語字幕]劇団まちプロ一座(滋賀)
障害というハンデがあると街ですれちがっても、なんとなく避けられがち。ましてや想いなど、なかなか伝わらず。障害を持っても、持たなくても舞台に立てば、ひとりの役者。台詞に気持ちを込めて、舞台に立てば、いろいろな人たちに出逢える…。それぞれの人生や心の内をありのままに伝えられる…。いつか、どこかのまち、どこかの舞台でいろんなあなたに出逢いたい。劇団立ち上げから、17年、そんな気持ちで演劇を続けています。
舞台上では、いろいろな会話が続いています。明瞭な言語でのやりとりもあれば、身体でのやりとりもあります。いかにも寸劇のようなセリフ回しもあれば、とつとつとした語りも、身体の朗々とした歌もあります。
続きを読む福祉の現場で行われているやりとりも、きっとこんなふうなのかな、と、想像したりもします。こうして、この作品を思い出している今もどこかであの人たちは、思い出したり、忘れたりしながら、互いにおぎないあいながら過ごしているのだと思います。人々がそれぞれのありようで振る舞い、関係を紡ぎ、途切れ、また出会いなおす場に、たまたま居合わせたような時間。その場で起こる言葉や振る舞いを見つめながらたどる、まるでコンテンポラリーダンスを見ているような時間でした。
長津結一郎(九州大学 大学院 芸術工学研究院 助教)
オンライントーク[Online talk]
障害のある人による身体表現の魅力、そうした活動の意義やはじめ方、つづけ方など、演劇や音楽の事例を紹介しながら話し合います。
後半は、さまざまな舞台表現をだれとどうやってみるのか? そもそも多様な人がアクセスしやすい劇場や場所とはどんなものか? など、アクセシビリティについても考えていきます。
トーク終了後は、これからパフォーミングアーツに取り組みたい人やすでに取り組んでいるみなさんと、困っていることや工夫していることなどを共有し、顔の見える関係をつくるべく「舞台芸術ネットワーク会議」をおこないます(zoomによる配信)。こちらもふるってご参加ください!
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13:30~15:00[90分]
① 舞台をどうやってつくる?―はじめ方・つづけ方について考える
飯山ゆい(音遊びの会/兵庫)、佐藤拓道(たんぽぽの家/奈良)
ホスト:鈴木励滋(生活介護事業所カプカプ) -
15:10~16:40[90分]
② 舞台をだれとどうやって観る?―アクセスについて考える
鈴木京子(ビッグアイ/大阪)、檜皮一彦(美術作家/大阪)
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17:00~18:00[60分]
③ 舞台芸術ネットワーク会議
野澤大輔さんの「僕の一日」を聞いて、すがすがしい気になった。
あなたの一日を書いて下さいと、言われたら、多くの人は自分が何をしたかを書いていくだろう。
自分のしたことを書こうとするときは、ほんのちょっとした日常のことでも、ちょっと力が入ったり、かっこよく見せようとしたりするものだ、かっこ悪いことを書くときでさえ。
野澤さんの歌にはそういう力みがない。
わたしがこの曲でとくにぐっときたのは、パンを焼く準備のところだ。「白衣着てコロコロする」。この「コロコロする」ということばだってイカすけど、そのあとの「後ろはしてもらう」のあざやかさときたら! 何かをすることとしてもらうことの交換を「僕の一日」の中にすらりと書き入れることのできるやわらかさ。声を掛けてくれる、手をあげてくれる。野澤さんの歌の中に出てくる他人は、まぶしい。
「仕事に、行っています」というあっけらかんとした終わりを、何度でもききたいと思ってしまう。野澤さんの一日を分けてもらって、わたしの一日も、ちょっと健やかになった。